2014年10月22日水曜日

その他 (随時追記)

・『素晴らしき哉、人生』

昨日、BS放送で録画しておいた掲題の映画をみた。
ご存知、1946年のフランク・キャプラ監督の映画。
主演は我がお気に入りの一人のJ.スチュアート。 

映画はやはりハッピー・エンドに限る。 たとえ、それがアメリカ映画特有な単純な人生賛歌だとしてもだ。

実は私はクリスマスが近づくと、これまた私の好きな『アパートの鍵貸します』(1960年、ビリー・ワイルダー監督)を思い出す。この映画もアメリカ映画らしい『心暖まる』ラスト・シーンであった。 掲題の『素晴らしき哉、人生』も『心暖まる』ラスト・シーンであった。

勿論、映画は虚構の世界だ。その虚構の世界から、この現実世界の厳しい過酷な真の現実を学ぶのも良いことだが、しかし、冷たい風に震えがちな此の現実の人世において、映画という虚構の世界に立ち寄って『心温まる』のも又有り難い事ことだ。

この掲題の映画はご覧になった方も多いだろう。だからストリーは紹介しないが、この映画の主人公は不思議な体験をする。

近頃の安価なSFよりも、深い人生知を教えられるSF的ストリーが展開する。映画ならでは時間の逆行世界が進行するのだ。

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大変興味深いことだが、現代の理論物理学においては、この映画の「SF」より、はるかに虚構にみえることが、実は主張されている。平行宇宙論がそれだ。

この世には「別の宇宙」がたくさんあって、貴方とまったく同じ人生を歩んでいる「もう一人の貴方」がどこかにいる、という理論だ。

まさに映画の虚構性など問題にならない、摩訶不思議の理論物理学理論の一つなのだ。興味ある人はネットで検索してみるとよい。 ここでは、一つ例を挙げておこう。
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0308/a..
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私の好きな映画『ベルリン天使の詩』(1987年、ヴィム・ヴェンダース監督)での天使は、おじさんであったが、此の映画での天使は、おじいちゃんで、未だ翼をもらえない二級天使?だった。

めでたく翼をもらった、此の、おじいちゃの天使は、人間にはなりたくはないだろうか?

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・『決断の3時10分』

ときどきNHK・BSでは、ちょっとした『拾いもの』の映画をやる。

あまり知られていない( と言っても私だけが知らないだけだろうが )傑作とまでは言わないまでも小味のある映画を放送するときがある。

『この森で天使はバスを降りた』とか『バベットの晩餐会』なども、そのような佳品であった。

なんの気なしに観たのだが、結局、最後まで観てしまって、ちょっと得をしたような良い気分になる。そんな映画に時々出会う。

この掲題の『決断の3時10分』(デルマー・デイビィス監督、1957年)は今日放送されたのだが、最近私はコムズカシイ映画は敬遠していて、何かスカットとした西部劇をみたいと思ってこの映画をみた。

拳銃バンバンのB級西部劇だと思ってみてたら、なかなかどうして、面白いじゃぁないか。

一種の心理映画で、まさに異色の西部劇であった。

ストリーはシンプルだが登場人物の心理的な面に重点が置かれていて、しかもその心理は明るい肯定的光に照らされていたので観た後心地よい気分が残った。

グレン・フォードの地味さも良かったし、あの『シェーン』の少年の父親役だったヴァン・ヘフリンの真面目さも好感がもてた。

時々BSでは、こういう『拾いもの』をやるから止められないのだな。

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映画『グリーンマイル』(フランク・ダラボン監督、2003年日本公開)

久しぶりに録画しておいた映画をみた。映画を観るようになったのだから私も、それなりに元気になったようだ。

映画の内容は省略。

Wikipediaで死刑について調べたら、現在58カ国の死刑存置国で行われていて、処刑方法は以下のようだ。
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・絞首刑(日本、韓国、エジプト、イラン、ヨルダン、イラク、パキスタン、シンガポール他)

・電気処刑(米国アラバマ州、サウスカロライナ州、バージニア州、フロリダ州、ただし処刑対象者が薬殺刑を選択できる。電気処刑による死刑執行は米国ネブラスカ州で最後に行われていたが、2008年2月に同州最高裁判所が憲法違反判決を出した)

・ガス殺刑(米国アリゾナ州、メリーランド州、ミズーリ州、カリフォルニア州、ミシシッピー州、ノースカロライナ州、コロラド州)

・致死薬注射(中国、グアテマラ、タイ、米国の死刑を執行している上記以外の州)

・銃殺刑(ベラルーシ、中国、北朝鮮、ソマリア、ウズベキスタン、ベトナム他、かつての日本など軍事裁判で死刑が適用される場合あり)

・斬首刑(サウジアラビア、イラク)

・石打ち刑(アフガニスタン、イラン、サウジアラビア)

公開処刑はイラン、北朝鮮、サウジアラビアなどで行われる。また中国では以前は公開処刑がテレビで放送されていたほか、バスに死刑執行(薬殺刑)設備を積んだ移動死刑設備がある。
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さて、もし私が死刑になるとして、その処刑方法が選べるとしたら上記のどれを選ぶだろうか? 一番、楽に逝ける方法はどれだろう? 斬首刑、石打ち刑は御免だね。


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グリーンマイルとは死刑台へ向かう「道」とか此の映画で解説していた。

死刑にはならないとしても、我々はみんな、グリーンマイルを、とぼとぼと歩いているのは、まぎれもない事実。

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此の映画は或る意味、御伽噺だが原作はスティーブン・キング。

同じWikiの解説によると、この原作小説は『アメリカではネタばれを防ぐために(その後日本でも)6冊が毎月1冊ずつ6ヶ月連続で刊行され話題になった。』そうな。

スティーブン・キング原作の映画で私が観ているのは『スタンドバイミー』と『シャイニング』『キャリー』だけかな。『キャリー』は観たことは覚えているが内容は忘れてしまった。

彼の小説そのものは一冊も読んだことはない。別に嫌いでも何でもないが、ただご縁がなかっただけ。

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『荒野の決闘』(ジョン・フォード、1946年)

西部劇に詩情を、もちこんだ、と、よく言われる。確かに、そうだ。白黒画面が、とても美しい。
観るたびに、いつも、すがすがしい余韻が残る。ヘンリー・フォンダやはり、これが No.1だな。

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・『悪魔の首飾り』(フェデリコ・フェリーニ、1967年)

ポーの短編より、こちらのほうが断然、面白い。って言うよりも、全く別物。フェリーニ・ワールドが短時間で、濃縮して味わえる。長い映画は、フェリーニといえども疲れる。そして、テレンス・スタンプが、実に良い。ポーの肖像画に似せたメイク。この映画で、これ以上の適役は存在しない。そして、この映画の奇妙な浮遊感。それも良い。さらに、ラストシーン。薄明かりの闇の中で、かすかに、キーキーと軋むワイヤーにカメラが近づいていくと・・・血が・・・。ここら、あたりの感触も良い。

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・「雨あがる」(2000年) 
・「阿弥陀堂だより」(2002年) 
・「博士の愛した数式」(2006年) 
小泉 堯史・寺尾聡の、この3部作は、小生の肌にあう。 
これらは、小生には、「黒澤明」より、むしろ、「小津安二郎」のほうを感ずる。 
「雨あがる」は、ちょっと違うが、カメラの、ゆったりとした移動やパンは、観ていて疲れなくてよい。ともかく、今後、この二人のコンビには、注目したい。

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許されざる者(1992年,クリント・イーストウッド監督) 

同名のジョン・ヒューストンの映画(1960年)を昔、観たことがあるが、別に何も感じなかった。その故もあるかも知れないが、このクリント・イーストウッドの映画も今まで観ていなかった。そもそも、彼の映画は、最近、BS放送のものを、いくつか初めて観た。その、いくつかを観て、それぞれ、確かに、おもしろかったので、最近放送された、これを録画しておいたので、昨日観た。なかなか好評らしい映画だとは耳にしていたが、なるほど、断然、面白く、トイレへも行かず、一気に観てしまった。アカデミー作品賞だけあって、全てが良かったなぁ。映画というものは、脇役が、やはり重要なんだな。 ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン・・・それであってこそのクリント・イーストウッド。クリント・イーストウッドの映画って、小生が観た数本だけの印象だが、どうも、どこか、「とんがっている」な。 どれも、どこか、ヒねていて、屈折しているヒーローって感じ。 「正義そのもの」ってものは、どうも、好きではないらしいな、この人。 ま、ともかく、多いに楽しませてもらった。

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・スパングリッシュ(2006年、ジェームス・L・ブリックス監督)

これもBSで放送されたものを録画しておいた映画。久しぶりで高級な心理劇を観た思いがする。漱石の『明暗』を連想した。勿論、ストーリーではなく、人間の心理描写のことだが。

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・ハムレット(作:ウィリアム・シェイクスピア、演出:グレゴリー・ドーラン)

これは、いわゆる映画ではないが、映像という意味では「映画」とも言えるかと思うので、あえて、ここに記録しておく。RSC(ロイアル・シェークスピア・カンパニー)の舞台公演を基に、ロンドン郊外の廃校になった建物を利用して、テレビ的で斬新な演出・映像表現による収録が、2009年6月に行われた。これが先日、Bshiで深夜放送されたのでHDに録画しておいたを昨日診た。ハムレットはデイビッド・テナント。RSCといえば、ローレンス・オリヴィエ、リチャード・バートンもその出身だそうだが、さすが本家本元での「舞台」。勿論、日本語字幕付きの映像であったが、役者たちの、奔流してくる台詞には圧倒された。まさに、words,words,wordsが軽妙な警句を交えて、こちらにガンガン響いてくる。英語が理解できればベストであるが、役者たちが喋りまくる英語を、耳で「音」として聞きながら、字幕で「言葉」を追うだけでも、登場人物たちの言葉を介しての軽妙さと絶妙さにはKOされてしまった、。3Hという「上映」時間が、あっというまに過ぎてしまった。勿論、HD→BDへと永久保存にした。

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・荒野の用心棒(1964年、セルジオ・レオーネ監督)

小生は、映画なるものは、昭和35年あたりから、ほとんど観ていなかった。小僧の頃は、よく東映のチャンバラ映画はみていたが、それでも、映画館から出たときの、妙な、日常の「けだるさ」というヤツを感ずるのは実に不快なものであった。で、最近(といっても、ここ一年前からだが)、TVをデジタルに換え、TVの音声を、安物ではあるが、音楽用AMPに換えてから、ちょくちょく映画も観るようになった。勿論、家で。いまでも、映画館というものは小生は好まない。閑話休題。上記映画の存在は知っていたし、黒澤の映画の翻案らしいということも、ちらちら耳にしていたが、今回BSで放送されたので初めて観てみた。なるほど面白かった。黒澤のものも確か、なんかの機会で観ていたと思ったが、面白さという点では、この翻案のほうが上だな。最近、BSでは、クリント・イーストウッドの映画を連続して放送しているが、この人の出生を、この映画だと仮定すると、この人の映画の「とんがり具合」が分かるような気がする。ただの正義の味方なんて奴は、東映のチャバラ映画で卒業している者にとっては、アホらしくてみてられないからなぁ。

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・誰も知らない」(2004年、是枝裕和監督)

生きていく、ということは、面倒なことではある。
たしかに、金(かね)は必要なんだが、しかし、かれらには、決して金では買えないものをもっている。 若さと絆(きづな)。

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・「ウエストサイド物語」(1961年、ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス監督) 

50年前か。もう語りつくされてるな。そこで連想ゲーム。 
ジョージ・チャキリス→懐かしき日本の面影 
ナタリー・ウッド→草原の輝き 
リチャード・ベイマー→えーと、思いつかない。これ一本で充分じゃぁない。 
       そこで、googleで調べたら・・・え! この人、「ツインピークス」に出てたの!

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・「家族ゲーム」(1983年、森田茂光監督) 

「人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまってゐる。」 
                        (「侏儒の言葉」芥川龍之介)

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・「舞踏会の手帳」(1937年、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督) 

「人間五十年、化転の中をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり」 
いままで、ここに、気晴らしに、いくつかの書き込みをしてきたが、「歳月、人を待たず」、 
小生も、いつ、あの世に、めされるかも知れぬ。 
故に、小生も、映画という名の「友」たちに、逢いに行ってこよう。 
はたして、かれらは、どのように変わっているのだろうか? 

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・「我が青春のマリアンヌ」(1955年、ジュリアン・デュディヴィエ監督) 

フランス版とドイツ版があるが、やはりフランス版だな。 
初体験というものは、なにも男←→女に限らない。映画も同じ。その後の好みを決定する。 
フランス語でないと、どうも感じ出ないんだよな。 
(ここで、フランス語もドイツ語も小生は××であるとは、いちいち断るまでもないが) 
それにしても、マリアンヌは登場しないほうが、やっぱり、いいんじゃぁないかなぁ。 
レベッカのように、カーテン越しの風に、彼女を感じさせたほうが・・・・ 

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・「渚にて」(1959年、スタンリー・クレイマー監督) 

以前、確かに観てはいるが、実は、あまり覚えていない。この映画より、むしろ、以下が気になる。 
1962年10月 キューバ危機。いわゆる「10月の悪夢」。 
20X年Y月 北朝鮮の暴発。米韓日との全面戦争へ突入。 
         結果、挑戦半島、日本列島の、ほぼ全土焦土化。 
20W年A月 xウイルスの超パンデミック→そして、人類は、the End。 
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人類のもつ四つの病状 
・「創世記」から近世に至るまで繰り返されていた「いけにえ」の儀式。 
 即ち、今日、なお人類の心に潜む妄想傾向。 
・他の生物にはみられない、人類の種内殺戮。 
・人類の理性と情緒との決定的な不均衡。 
・科学技術と倫理の成長曲線の著しい差 
               (アーサー・ケストラー) 

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・「山椒大夫」(1954年、溝口健二監督) 

小生に言わせれば、この映画は、決定的な誤謬を犯している。それは安寿を「妹」にしたことだ。 
鴎外の感情移入を一切排した、安寿の入水での簡潔な文章をみてみよう。 
『山椒大夫一家の討手が、この坂の下の沼の端で、小さい藁履(わらぐつ)を拾った。それは安寿の履であった。』 

鴎外は、ここで、一切の説明をしていないが、この安寿への、鴎外の敬愛と共感を感ずるには、 
安寿は、絶対、「姉」でなければならない。「小さい履」とのみ表された、鴎外の安寿への、いつくしみ。 
もし、安寿が「妹」だったら、たぶん、鴎外は、この短編を書かなかっただろう。 

この映画の制作者たちは、鴎外の女性観を全く理解していない。と、同時に、 
安寿の「姉」が故の「健気(けなげ)さ」と「あはれさ」「かなしさ」も、かれらは、全く理解していない。 
小生に言わせれば、この映画は、許すことの出来ない愚作である。 

この映画感想欄が、ささやかな欄であるにせよ、公開されている以上、この欄の読者に対して、「愚作」と小生が感ずる所以を、少し説明しておくべきであろう。

昭和47年に初版された『鷗外--闘う家長』(山崎正和著、河出書房)という本がある。森鷗外とその時代を生きた作家たちが、その時代背景とともに、実に見事に検証されている。
この検証における著者の文章そのものも、冗長とは無縁の簡潔無比の文体であり、かつ、鷗外等を検証する著者の眼力は、さながら、冷徹な解剖医のようである。
それは、ともかくとして、著者は、鷗外文学の主題は、要するに、「家長」であると説得する。
その詳細については、この本を読んでいただくしかないが、「山椒大夫」について言えば、安寿は「家長」だと、
著者は言うのだ(p164)。安寿という、幼き「家長」への、鷗外の敬愛・慈しみを抜きにしては、この物語の主題は成立しない。
そして、小生は、この著者の鷗外観に全面同意である。というより、この著書によって、小生は森鷗外を理解できた。

それ以来、小生は鷗外フリークである。だから、この映画への反感・軽蔑は、ちょうど、長島茂雄フリークが、彼の背番号を7と言っている人に対する、反感・軽蔑と似ている。しかし、映画と原作とは所詮別物だという人に対しては、小生は沈黙するしかない。
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今日、鷗外の小説を読む人は少なくなっただろう。しかし、男性の女性化がささやかれるような今日においては、この本の主題である「家長」(つまり自律した精神)というものが、見直されても良いように思う。

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・「紅鶴屋敷」(1958年、沢村忠監督) 

実は、小生は、この映画を、一日に2回みている。昔風に言えば木戸銭を二度も払って、同じ映画を映画館で同日に、二度もみたのだ。 
なぜ、そんなに、この映画を気に入ったのか? 今や、全く忘れてしまっている。大川橋蔵の映画だとは記憶していたが。 

そこで、検索に引っかかるかどうか半信半疑でgoogleで調べてみた。そしたら、出てくるわ出てくるわ、その多さに驚いた。 
「若さま侍捕り物帳」シリーズの一つであった。そういえば、確かに、橋蔵の着ていた衣装は、確かに町人風ではなかった。 

そのgoogleの検索での一つに、この映画のストーリーの概略が載っていた。それを読みながら、少しずつ、この映画の話を思い出した。 
しかし、当時、なぜ二度もみたか、その理由は依然として思い出せない。 
推測するに、おそらく、その日は、映画という非日常世界に居たかったのだろう。 

当時の東映映画は、他の映画会社の映画よりも、ある意味で、極めて非日常の世界だった。 
市川歌右衛門、片岡知恵蔵、月形龍之介、大友柳太郎・・・ 
かれらは、全て、今や懐かしき、非日常の世界の人々だった。 

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・「放射能X」(1950年、ゴードン・ダグラス監督) 

今や懐かしき映画の、gooleでの検索を、も一つしてみた。『放射能X』。 

巨大なアリンコが、キーキー鳴きながら、砂漠だかどこからか、ゾロゾロ現れる、 
という代物の映画だとは記憶していた。これは、わが良き時代の、良き映画の一つ。 

万万一、NHKで放送されたら、これは、確実に見る映画の一つ。 
『宇宙人、東京に現る』『青銅の魔人』『タランチェラの逆襲』『光る目』・・・・ 
これらも次々に連想されてくる。小学校の友人たちよ。これは、また別の機会に書こう。 

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・「縮みゆく人間」(1957年、ジャック・アーノルド) 

我が思い出の空想科学映画の一つである。例によって、ストーリーは、ほぼ忘れてしまっているのだが、確か、ある日突然、ある男が、縮んでいくのだった。その男が縮んでいくにつれ、周囲の小道具も、相対的に、 大きくなっていくのだが、その撮影トリックは見え見えであった。 
そのトリックの稚拙さが、なんとも笑えたものだったが、それ故に、記憶に残る愛すべき映画とあいなった。 

この映画は、『ミクロの決死圏』(1966年、リチャージ・フライシー)のような、ある意味での傑作ではない。 
当今、精巧なCGのSF映画をみたりすると、そのリアルさ故に、妙にシラケることがある。 

人間の感覚というものは皮肉なもので、当今の精巧なSF映画よりも、昔の、かのB級映画「縮みゆく人間」のほうが面白く思えるのだ。

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・「ゴシラの逆襲」(1955年、小田基義・円谷英二監督) 

今や、ゴジラはアイドルのようである。この映画をリアルで見たというのは、幸福だったと言うべきか。 当時、わが同胞たちと共に夢中になったものだ。それにしても、あの、アンギラスの甲高い咆哮に、妙な色気を感じたのは我輩だけだったろうか? 

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・「俺たちに明日はない」(1967年、アーサー・ペン監督) 

BS放送で再観。この映画も語りつくされているが、今回は、ジーン・ワイルダーが印象に残る。 「ヤング・フランケンシュタイン」の人ね。この「俺たち・・・」でも、なんか笑えてくる。 
なんとなく、ズレた、妙な、おかしさが、この人にはある。 

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「夜と霧」(1955年、アラン・レネ監督) 

人間はいかに残酷になりうるか。その歴史的証言が、この映画だろう。 
この映画に記録された黙示録的光景、いや、それ以上の惨憺たる光景だ。 
この映画は誰も一度みておいたほうがよいだろう。→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%A8%E9%9C%A7_(%E6%98%A0%E7%94%BB) 

では、我が日本では、どうだったのか。例の731部隊がある。→http://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A 
では、将来はどうだろうか? その一つのシナリオは 「渚にて」 に既に書いた。 
おそらく、近い将来、さらなる黙示録的な、決定的な光景が現れるのは、ほぼ確実だろう。 
ただ、その光景を目撃できるのは、奇跡的に残ったゴキブリだけかも知れないが。 

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・「地獄へ続く部屋」(1959年、ウイリアム・キャッスル監督) 

映画の感想は、小生にとっては、一種の連想ゲームだ。「夜と霧」を書いたら、 
この映画も思い出した。この映画も小生は、リアルタイムでみているのだが、「夜と霧」と違って、 これは、あの時代のオレが好んでみた、正真正銘なB級恐怖映画だ。言うまでもなく、B級とは、オレにとっては親愛の別名だ。 

たしか、この映画の冒頭は、暗闇の中の遠くから男の頭だけが近づいてきて、 
観客へ向かって、「諸君を地獄へ案内しよう」とかなんとか言った映画だと覚えているのだが違うかも知れない。 
DVDで借りみる?・・・そこまで、再会したいとは思わんね。」 

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・「顔のない眼」(1960年、ジョルジュ・フランジュ監督) 

この映画も思い出した。1960年10月公開ということだから、もう40年近く再会していないことになる。 この映画はDVDで借りてみてもいい。が、実は小生はDVD借観は懲りている。 以前、あるレンタル屋の会員になって、5本借りて観たのだが、5本とも全てバカバカしく、途中までみて返してしまったことがある。 
まぁ、それはともかくとして、この映画は再会したい。当時、映画の看板が電信柱に立てかけてあったものだが、 この看板に書かれた、この映画の題名『顔のない眼』の意味が一瞬理解できなかった。『眼のない顔』の間違いではないかと。 勿論、映画をみれば、なるほど、『顔のない眼』で正解だった。

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・「カポーティ」(2005年、ベネット・ミラー)

先日、BSで放送されたので初めて観た。
映画『冷血』(1967年、リチャード・ブルックス監督)は、だいぶ昔観たことがあり、この映画の(たぶん有名な)場面は記憶していた。その場面とはーーあの死刑囚が、執行前の雨の夜、硝子窓越しに外を眺める。彼の顔が硝子窓に映り、雨の雫が、その映された彼の顔に流れていく。彼が泣いているかのように、雨の雫は流れ続けるーーという場面だった。今回、この映画『カポーティ』を観ながら、映画『冷血』の、あのシーンを何度となく思い出した。
トルーマン・カポーティって人は、どういう人だったんだろう? なんとなく太宰治を連想した。 冷血とは、トルーマン・カポーティ自身を指しているという説がある。おそらく、そのとおりだったのだろう。

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