私は此の映画で好きなシーンは山ほど有って、と言うより始めから最後まで全てお気に入りでしてね。 つまり、此の映画は一つのシーンも無駄のない映画の典型だと私は思ってます。 その中で私が特に好きなシーンは、ジャネット・リーの車での逃避行の一連の場面ですね。 この逃避行の場面の最初のほうで道路の信号が赤となり、歩道を渡るエキストラの中にヒッチコックが歩いていること、ご存知でしたか。例によってのヒッチコックの「お遊び」です。
この逃避行の一連の場面で、車を運転するジャネット・リーの顔が真正面からクローズ・アップで写され、彼女の微妙な心理状態を、クローズ・アップされた彼女の顔の表情の変化で表現しています。口をキッと結び不敵に薄笑いしたり、不安そうな表情になったり。彼女の揺れ動く心理をカメラはじっと真正面から「見つめて」いる。
彼女の心に聞こえてくるのは、既に発覚しているであろう犯罪で騒いでいる人々の声。
その声を、この映画では実際に観客にも聞かせる。そのことによって、彼女の犯罪が、具体的にはどのように進行しているのかを観客に教えている。 その経過を、いちいち映像として説明はしないで「声」のみで表現している。つまり映像の省略ですね。
この映画にダラダラとした冗長さがないのは、こういう余分な映像の省略があるからです。登場人物のセリフによって余分な映像を省略するという技法は此の映画のいたるところで使用されています。それが何処で使われているか。それに注意して観るのも此の映画の楽しみの一つです。
雨が降ってくる。ジャネット・リーはワイパーを激しく動かす。既に夕方で外は暗い。対抗車のライトが眩しそうに彼女は顔を歪め、ふとベイツ・モーテルと書かれた看板を道路脇に見つける。私はこの一連の場面も大好きですが詳細は割愛します。
ここでジャネット・リーが見た館の光景は、格別に私は忘れ得ません。
雨上がりの暗い雲が動く夜空を背景とした館を、無音でカメラは遠方から移す。
その館の何とも言えぬ不気味さ。このワン・カットだけでも私は此の映画が気に入りました。
ともあれ、このモーテルてジャネット・リーはノーマン・ベイツ (アンソニー・パーキンス) と会話する。 その会話で、私(観客)は、ノーマン・ベイツには彼の母親が館に居ることを知らされる。
そして以下は私の最も好きなカメラ・ワークについての、お喋りです。
ストーリーは少しとばします。
ノーマン・ベイツは、彼の母親の危険を察知し、母親を隠すところの場面です。
彼は館に入り階段に向かう。カメラは彼の背後を追う。
彼は階段を昇り、母親の部屋に入るのですが、カメラは階段から母親の部屋へと、せり上がるように昇り、ゆっくりと母親の部屋のドアに向かいドアの手前で静止する。
すると部屋からは、母親とノーマン・ベイツの言い争う会話が聞こえる。
その会話の途中、カメラは、ゆっくりと後方に動き、更に、天井 (母親の部屋と階段通路での天井 )へと、ゆっくりと、せり上がっていき天井に張り付くようにして静止し、その通路を真っ直ぐに映す。
するとノーマン・ベイツが母親を抱えて部屋から出てきて、階段へと向かい、階段を下りていく。カメラは相変わらず静止して、かれらの行動を「凝視」している。
カメラは天井から見ているわけだから、この二人を頭上からみていることになり、母親は頭部しか見えず顔は当然見えない。
と言うことは観客は、母親の頭部しか見ていないことになり、実は、これが此の映画の重要な伏線となっているのですが、私を含めて、おそらく全ての観客は、この場面に何の不自然さも感じなかったでしょう。
このカメラ・ワークによる完璧なまでの母親の正体の隠蔽は見事なもので、それだからこそ、母親の正体が暴露されるシーン (ジャネット・リーの妹が地下室で体験する、あのシーン) の衝撃は強烈なものとなりました。事実、この場面でも観客から悲鳴が聞こえたものでした。
このカメラ・ワークは二度使われています。あの私立探偵が刺殺される場面がそれです。
カメラは天井に静止したまま私立探偵が母親から刺殺されるのですが、この場面での母親は頭部しか写されていないし、それも観客は何の不自然さも感じなかったでしょう。
事実私は、てっきり母親が刺殺したのだと、何の疑いももちませんでしたね。
この場面も白イルカさんの言われるとおり、ショックな場面でした。
この歯面で、私立探偵が階段を、あお向けに倒れていく姿をカメラは正面から写すのですが、どのように撮影したのでしょう。これもヒッチコック映画の撮影技法の一つでしょう。
上に書いたカメラ・ワーク。つまりカメラが、ノーマン・ベーツの背後を追って、天井に静止するまでのショットはヒッチコックはワン・カットで撮りたかったでしょうね。しかし、それは無理だったようで、この一連の場面をよく観ていると、母親の部屋のドアを写すところでブラック・アウトとして、そこでカットが接続されているようです。
しかし、私には、ほれぼれするカメラ・ワークです。これによって私は完璧に「だまさ」れましたよ。
ところで此の映画の最後の最後の場面で、「母親」になったノーマン・ベイツの顔が、一瞬、骸骨になる (コンマ何秒か) のに、気がつかれましたか。よく観てないと分からない、このカットは、それを知らない観客に、この映画を観終わった後にも、なんだか後をひく怖さを残すヒッチコックの技でしょう。観客は無意識にせよ、この母親の骸骨を見ているはずですから。
0 件のコメント:
コメントを投稿