2014年10月22日水曜日

「誰がために鐘はなる」(1943,S.ウッド)

・雑談:『誰がために鐘はなる』 (我が懐かしき「人世座」よ!)

今から半世紀程昔、東京・池袋駅東口から徒歩で数分の所に「人世座」という映画館、というより映画小屋がありました。いわゆる往年の名画を、入場料150円ぐらいで観せてくれる、映画好きの貧乏学生には誠に有り難い映画小屋でした。(今となっては、あの小屋の汚さも懐かしい! )

私は、よく、ここへ通いました。ここで映画をみて、その帰りには、これまた150円ぐらいのタヌキ・ソバを食う。これが定番でしたね。子供の頃みた東映のチャンバラ映画を別にすると、今迄、私が観た映画の80%程度は、この小屋での「体験」です。当時は、映画媒体のレンタル店など存在しない時代でしたからねぇ。尤も、あったとしても貧乏学生には無縁でしょうけれど。

この映画小屋で観た映画の一つが『誰がために鐘はなる』。ちよっと調べてみると、この映画、1943年に製作されているのですね。イングリッド・バーグマンが若かったですねぇ、ほんと。彼女、何歳だったんでしょう。調べようと思いましたがメンドクサイからやめました。誰か知ってたら教えて。

この映画では今でも覚えていることあります。映画を見終わって、観客たちが映画小屋の出口からゾロゾロ出てきたのでしたが、そのとき、「よかったなぁ」という感嘆の声が私の背後から聞こえました。ちょっと振り返って見ると、数人のチンピラ風のアンチャン達でした。彼らは、暇つぶしに、この映画小屋に入ったのでしょうが、この「チンピラ達」の琴線に触れるものが、この映画にはあったのでしょう。

それは、さておき、この映画のタイトル。私は聖書の引用なのかなと、つい最近まで思ってましたら、John Dane という人の詩から引用だったんですね。
ご参考に、その該当部を下記しておきます。
・MEDITATION XVII (John Dane)
No man is an island. entire of itself; every man is a piece of the continent, a part of the main; if a clod be washed away by the sea, Europe is the less, as well as if a promontory were, as well as if a manor of thy friend's or of thine own were; any man's death diminishes me, because I am involved in mankind, and therefore never send to know for whom the bell tolls; it tolls for thee.
何人も孤立した島ではない。いかなる人も大陸の一片であり、全体の一部である。一塊の土くれが海に洗い流されても、ヨーロッパがもとの姿を失わないように、あなたの友人あるいはあなた自身が洗い流されたとしても、それが無に帰するわけではない。・・・だがいかなる人の死も、私の一部を失った気にさせる。なぜなら私は人類の一員なのだから。
それ故私はあなたがたに言いたいのだ。あえて知ろうとするには及ばない、誰がために鐘は鳴るのかと。それはあなた自身のためにも鳴っているのだから。

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