2014年10月22日水曜日

「麦秋」(1951,小津安二郎)

この世の、まぎれもない事実の一つは、『ときは過ぎゆく』ということだ。この事実だけは誰も逃れられない。

この事実を、とぎすました感覚で映像表現したのが、小津安二郎の『麦秋』という映画だ。

この映画は、1951年の製作だから、もう、60年以上前になる。

小津安二郎自身が此の映画について、『ストーリーそのものより、もっと深い《輪廻》というか《無常》というか、そういうものを描きたいと思った』と語っているそうだ。

小津映画独特の、あのマニアックと言ってもよいような時間と空間の感覚は此の映画で極まれり、という印象を私は持っている。世評の高い『東京物語』よりも私は此の『麦秋』に深みを見る。

『東京物語』に感ぜられる或る種の「説教くささ」は此の『麦秋』では昇華されていて、この映画に底流している或るモノが何度となく此の映画に顔をのぞかせている。

其の或るモノとは『ときは過ぎゆく』という、かすかと言えばかすかな諦観だ。

それを感じさせる幾つかのショットがあり、それは老夫婦が見上げる初夏の空と雲であったり、カラカラと回る風車であったり、少年たちが海辺の道を歩くときの白い波であったり、また此の映画のラストの麦秋の中を遠く行く花嫁たちであったり・・・。

それらのショットの何気ない寡黙さが、その寡黙さゆえに、この映画を観る人の心に其のモノを沁みこませてゆく。

『ときは過ぎゆく』ということは、どの国の人々にも共通の普遍的なことだから、小津安二郎の映画が外国でも評価されている、ということは当然のように思われれる。

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