2016年8月17日水曜日

原節子と高峰秀子

私は佐藤忠男の映画評論が好きである。この人の著作に『映画俳優』(晶文社)という本があって、ここに書かれている原節子と高峰秀子についての人物評論が、とても面白い。
彼女たちの映画を観ているよりも、佐藤忠男の軽快な文章によって、あぶりだされてくる彼女たちの生きざまを読んでいるほうが面白い。特に、高峰秀子に関する佐藤忠男の論評は秀逸である。
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原節子と高峰秀子と言えば、ある年代以上の人には知らない人はいない稀有の大女優だが、この本によると、彼女たちには或る共通点がある。それは、彼女たちは好きで女優になったのでなく、たまたま女優になってしまったという点である。
其のいきさつは此の本で活写されているから興味ある人は読んでみるといい。
彼女たちにとって、映画俳優という職業は、どうも居心地が悪かったらしい。
世間では原節子と高峰秀子と言えば、傍にも近付けぬ大御所に見えたものだが、実は当人達は自身の在り方がしっくりしなかったらしい。
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彼女たちが活躍した時代は、まさに映画の最盛期であり、そこで数々の傑作群を、彼女たちは共に残してきたのだが、そんな業績には何の未練のないかの如く、二人とも映画界を、さっさと去ってしまった。
よそ目には、その引き際の良さに敬服したくなるのだが、彼女たちにとってみれば、かってから憧れていた己自身の居場所に、やっと行きついた、というのが実情らしい。
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その彼女たちの生きざまはお見事というほかない。その見事さは、彼女たちが出演した映画の傑作群に裏打ちされていればこそだが、私を含めて並みの人間には、とうていできない人生の『至芸』と言えるだろう。
特に高峰秀子には『わたしの渡世日記』という有名な随筆があって、この人はタダモノではないことが分かる。私は此の随筆を昔読んだこともあり、再読もした。
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原節子の佐藤忠男の分析にも私は敬服するが、この分析を一読して、原節子の映画をみたら、おそらく此の女優さんが全く別人に見えるだろうと私は思う。
別人という意味は『この女優さんが如何に稀有な役者さんであったか』という意味である。

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2ch の『懐かしの邦画』板で、両者への書き込みが、いつも盛況なのは尤もなことである。

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