2016年6月26日日曜日

『東京物語』(小津安二郎)の厳しさ

世評高い『東京物語』は私は若い頃より好みませんでした。その理由を述べるのは簡単ではないのですが、一口で言ってしまうと「厳しすぎる」からです。小津の人間を見る眼がとても厳しい。
その厳しさは、この現実において或る年代を越えた人には、実感できる人が多いでしょう。
人間は常に天使であることは出来ません。時には「いじわる」な存在にもなるのが現実の人間です。  ここで天使は原節子。「いじわる」は杉村春子。 この意味、お分かりですね。
 この『東京物語』で原節子に「私、そんな良い人ではありません。」と小津は語らせてはいます。
しかし、此の映画を俯瞰してみると原節子は天使です。杉村春子は、この現実世界の、天使でも悪魔でもない普通の人間です。
 この映画で私が不自然に感ずるのは、天使(原節子)と、現実の人間(杉村春子)が同居しており、小津の眼は明らかに杉村春子に厳しい。私は小津の、普通の人間(此の現実の人間)に対する厳しさに、ついていけないのです。共感できないのです。人間て、天使ではありませんから。
『東京物語』は私にはお説教に見えるのです。大変厳しい先生のお説教。
この『東京物語』と対照的なのが『戸田家の兄妹』で、この映画の小津の眼も大変厳しいのですが、その厳しさには微笑も残されていて勧善懲悪の楽しさがあるのです。『東京物語』のような、徹底した「みもふたもない」厳しさはありません。
 私は小津映画で最も好きな映画は『麦秋』ですが、この映画では『東京物語』の厳しさは昇華されていて、小津の眼も大変穏やかであり、それは諦観に裏打ちされていて、ある年代を過ぎた人にとっては静かな共感をもつことができます。 初夏の空。クルクル回る風車。 少年たちが浜際歩くときの静かな白い波。 これらの何気ないショットには、お説教など皆無です。
 この映画を小津は『或る輪廻のようなもの』を描きたかった、という意味のことを語っています。

この映画に登場する人物たちは私たちの周りにいる、天使でもなんでもない普通の人たちばかりです。『東京物語』のようなお説教も皆無です。 そして、この『麦秋』に常に底流している或る諦観----これに私は素直に共感できるのです。

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